ミャンマーのUMA ”ရေဆင်” 「水象」について
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”ရေဆင်” 「水象」とは
ミャンマーの南東部には ”ရေဆင်” 「水象」なる未確認生物がいるそうです。水辺に暮らす動物で、姿は象そっくりだけれども、体長は10cm前後で牙には猛毒があるとのことです。面白いことにタイにもช้างน้ำ(象+水)という同じ特徴を持った未確認生物がいるといわれています。
おそらく ရေဆင် の目撃者は、バクや象の子供が水浴びをしているところを勘違いしたのでしょう。もしかしたら、前歯が異常に発達したモグラやネズミなどの水死体を小さな象の死体と誤認したのかもしれません。
いくら珍しい存在だからといって、猛毒をもつ危険な生物の存在が明らかになっていないということは考えにくいです。もっとも「”ရေဆင်” 『水象』は猛毒をもつため、その猛毒によって目撃者はみんな死んでしまったせいで目撃者がいない」ということも考えられないことはありません。
しかしながら、現実的なところとしては①子供を怖がらせて水辺に近寄らせないための方便(河童のような存在)として生み出された存在または②破傷風などの感染症を説明し、注意喚起するための存在(小さくて猛毒のある牙=傷口は小さくても死に至ることがある)ではないでしょうか。もちろん③未確認生物説も捨てきれません。
ミイラ状態の遺骸が保存されていることがありますが、これは複数の動物の骨や毛皮を組み合わせて作られた贋物だと考えられています。インターネット上で画像検索をすると、それらしきものを多く見ることができます。気になる方は、”ရေဆင်” や ”ช้างน้ำ” で調べてみてはいかがでしょうか。ものによっては、やや衝撃的な姿をしているため、検索前にご了承ください。ちなみにミャンマー語の方も、タイ語の方も現実に存在する「セイウチ」のことを表すことがあります。
『ビルマ読本』の記述
国立国会図書館デジタルコレクションに収録されている『ビルマ読本』[1]には、この不思議な生物についての記述があります。本書は、”ရေဆင်” 「水象」に言及している日本語の文献の中では最も古い部類に入るのではないでしょうか(国立国会図書館デジタルコレクションでご覧になりたい方は、「コマ番号32/141」をご覧ください)。
なおタイの ”ช้างน้ำ” については、過去に日本のフジテレビ系列のバラエティ番組「世界の何だコレ!?ミステリー」【#12】2016年3月2日放送分において特集されたことがあるようです。
『ビルマ読本』34・35頁
本書の著者は、日本人の男性実業家である山田秀蔵氏です。彼は、アメリカにおいて事業を興すことを志し、香港より西廻りで海路アメリカに向かおうとします。途中、ミャンマーに寄港した際に日露戦争が勃発し、「ラングーン(ヤンゴン)」に在住の日本人雑貨商より「この戦争中にアメリカへ行ったところで仕方があるまい。しばらくここに滞在して様子をみたらどうか」との助言を受けます。ときに明治37(1904)年4月のことです。詳しい経緯は本書の「第一章ビルマへ 一 運命の不思議」をご覧ください。
さて画像にもある『ビルマ読本』34頁には「水象(イエーセン)」なる珍しい動物についての記述があります。「水象」は、上述のような特徴をもっているほか、「モルメン州(現在のモン州)」で稀に発見されるとあります。地図を見ていただくと分かるように、モン州は、ミャンマーの南西部、比較的タイにも近いところに位置します。このことからも、ミャンマーの”ရေဆင်” とタイの ”ช้างน้ำ” との間には何かしらの関連があるといえそうです。
さらに著者の山田氏は、マンダレー滞在中に「水象(イエーセン)」を一頭手に入れたそうです。この書かれ方だと、山田氏も水象の遺骸を手に入れたのでしょう。「二十年前に土人(原文ママ)が一頭を捕獲して英人に五〇ポンドで売却」したとあります。仮に本書が出版された1942年の「二十年前」である1922年の話であるとすると「五〇ポンド」は、今日の3027ポンド[2]にあたるそうです。3027ポンドというと、日本円では、473,734円(2022年2月23日現在)[3]です。
山田氏自身がいくらで水象を手に入れたのかは明らかではありません。しかし一度高い値が付いたということは、二束三文というわけではなさそうです。また水象の遺骸を”生産”する人もいたのではないかと容易に考えられます。
いずれの日にか、この ”ရေဆင်” (イェースィン)を求めてミャンマーのジャングルの奥地に向かいたいものです。 ”ရေဆင်” または ”ช้างน้ำ” 目撃したことがある方、または現に水槽で飼育しているという方がいらしたら、ぜひお知らせください。
本文の一部を修正しました。(2022/08/17)